★★★sahara★★★
モロッコの祭り・行事
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ラマダンとは

 ヒジュラ暦の第9番目の月のことをラマダンという。
この月に、神様が初めて使徒ムハンマドに啓示を授けられた。そのことを忘れない為に、毎年ラマダン月の1ヶ月間、新月が現れてから次の新月が現れるまでの29日又は30日の間、夜明けから日没までの断食を義務ずけられている。
また、飢えや貧困で苦しむ気持ちを忘れないように断食をする為、この期間は特に、貧しい人々に食べ物を与えたり、施しを与えたりすることを勧められている。

 ラマダン中には、コーランを全て読むことが望ましい。
この期間中は、飲み食いが出来ないだけでなく、お化粧や香水を付けること、異性と腕を組んだり、手をつないだり、好きだよ、などと言ってみたり、性行為をしたり、煙草を吸ったりすることも禁じられている。
それも、あくまでも夜明けから日没までの間。日没から夜明けまでは、いつも以上に豪華な食事をするし、煙草も吸っている。

 生理中の女性は断食をしてはいけない。
妊娠中、旅行中、病気の人、子供は無理をして断食をしなくてもいいことになっている。
去年病気や生理中で断食できなかった分と同じ日数の断食を、次のラマダンまでの間にしなければならない。それ以外で、我慢できなくて断食を破った場合は、1日を2ヶ月と計算し、2日破ったら4ヶ月断食しなければならない。もしくは、1日破ったら、60人の貧しい人々に食事を与えなければならない、とされている。


ラマダンの生活

 もうすぐラマダンが始まるから、家の大掃除をした。
ラマダンに入る前日、もしくは当日は、沢山の人がハマムで体を清める。
2002年11月6日、モロッコの家庭で初めてラマダン月を全部体験した。
朝の4時に起こしに来ると言われたけれど、何だか緊張して目が覚める度に時計を見て、4時前に起きた。

 スホール(早朝4時ごろに食べるご飯)は、バガリィル(モロッコ風クレープ)に、バター&蜂蜜のシロップをつけて、ミントティーと一緒に食べる。食べた後、皆はお祈りをしてから眠る。わざわざモスクまで出かける人もいる。私はお祈りをしないので、食べてすぐに寝ようとするけれど、一回起きたからなかなか眠れない。

 朝10時前に起きて、本を読んだりして1時間ほど過ごしてから、簡単に掃除を済ませ、3食分の料理に取り掛かる。ハリラ(モロッコ風スープ)、ゆで卵、マクダ(モロッコ風コロッケ)、ホブスドアッズ(モロッコ風ピザ)、フルーツジュース、パン、タジン(野菜と肉の煮込み料理)、バガリィル。。。だいたいの料理が終わるのは、15時前後。あとはピザを焼くだけだから、私は昼寝をするか、テレビを見て過ごす。

 17時には、テーブルのセッティングが完了する。ツマル(ナツメヤシの実)、ゆで卵、マクダ、ズメタ(ごま、ピーナッツ、くるみ、アーモンド、小麦粉などを混ぜ合わせたお菓子)、シュバキア(かりんとうに甘いシロップをかけたようなお菓子)、干しイチジク、コップやお椀を並べて、温かいハリラが入った鍋と、ホブスドアッズが運ばれて来て、料理を目の前にしながらアザーン(モスクがお祈りの時間を告げる音)が聞こえてくるのをじっと待つ。モスクにお祈りに行く人は、ポケットにツマルを突っ込んでモスクへ向かう。
アザーンが鳴り始めたら、一日の断食は終わりである。何だか餌を見の前に、「待て」をされている犬みたいな気分。
アザーンが聞こえてきたら、ツマルを牛乳やレバン(飲むヨーグルトの様なもの)と一緒に食べて、お祈りをしてからやっと腰を落ち着けて食べることができる。私はモスクにも行かないし、お祈りもしないから、アザーンが聞こえると同時にゆっくりと食べ始める。

 ハリラもシュバキアもホブスドアッズも大好きな私は、フトール(断食明けの食事)が一番大好き。毎日殆どメニューは変わらないけれど、飽きる事も無くとても楽しみ。でも、ここで食べ過ぎてしまうと後が辛い。この後何とお茶の時間があるのだ。毎日じゃないけれど、お客さんが来たり、お友達の家に遊びに行ったりすると、お茶とお菓子(シュバキアや菓子パン、スポンジケーキなど)が振舞われる。
そして22時過ぎに、今度はタジンを食べる。苦しいお腹を抱えながら、23時過ぎに眠りに入る。

 初めのうちは、目覚ましより早く目覚めていたけれど、そのうちにだんだんと目覚ましに起こされてびっくりするようになった。3時45分。何でこんな時間に起きなあかんのや?と寝ぼけた頭で考えて、ラマダンだったことを思い出す。
後の方になると、なんで?なんで?寝たい!と心底思った。だって、この朝ごはんの後いつも眠れないんだもん。やっと寝付けたと思ったら、もう起きる時間。昼寝したり、フトールの後に寝たりしていると、どれが本当の眠りで、どれが仮眠か分からなくなる。1日24時間の中に、小さな1日がもう一つあるみたい。
寝て、起きて、ご飯の用意が終わったら小さな一日の終わり。また寝て、起きて、食べて、食べて、食べて、また小さな一日の終わり、って感じ。

 胃が弱かったりすると、スホールのご飯なんて食べられないし、昼間はお腹が空き過ぎて胃が痛いしで、結構大変。いつもはうっとうしいだけの生理だけれど、今回だけは早く来ないかなぁ、と待ち遠しかった。でも、生理中で断食が免除されても、皆と一緒にご飯を食べなければいけないから、やっぱり朝の3時45分には起きることになる。昼間に飲んだり食べたりできるけれど、隠れて部屋に持ち込み、こそこそと食べないといけないから、何だか後ろめたい。この分、来年のラマダンまでに断食しないといけないと思うと、何だか今から気が重い。生理が終わると、家のシャワーかハマムで体を清めてから、また断食に入る。

 子供は朝から学校に行ってお昼に帰らない分、普段より早く家に帰る。仕事をしている人も、普段と変わらない人もいれば、15時前後に一度家に帰って家で過ごしてから、夜の19時30分ぐらいにまた仕事に出かける人もいる。昼間カフェで座っているモロッコ人も沢山いるけれど、断食しているから何も注文しない。ただ座っているだけ。
大きな町では、お昼過ぎのスークは人で溢れていたけれど、ラマダンが明ける時間帯には殆ど人がいなかった。この時間帯にタクシーを拾うのも大変。カフェではテーブルにハリラやシュバキアを並べて、人々はアザーンが鳴るのを待っている。

 寝る前の23時ごろ空を見上げた時の月やオリオン座の位置と、スホール前の4時ごろ、スホール後の5時ごろでは随分と位置が移動していて、地球は回っているんやなぁ、と毎回関心する。いつもと同じ時間帯でも、ラマダンが始まった頃から終わりに近づくにつれて、オリオン座の位置がどんどん西の方に進んでいる。普段、夜空を見上げて星を見ることはあっても、早朝に起きて星を見ることって滅多に無い。一日のラマダンが明ける時間も、最初の頃は17時30分位だったのが、17時20分位にまで縮まった。それだけ日が沈む時間が早くなったのだ。
冬の場合はどんどんラマダンが明ける時間が短くなってきていいけれど、夏はどうなるねん?!暑いは、喉渇くは、ラマダン明けの時間はどんどん遅くなるは。。。怖い怖い。

 まずリビアでラマダンが明けたらしい。次の日、エジプトのチャンネルでドラマを見ていたら急にニュースになって、今日でラマダンが終わることを告げていた。チュニジアでもラマダンが終わるらしい。モロッコのチャンネルを見ていたけれど、いつもと変わらない。どうやら明日もラマダンのようだ。

 多くのモロッコ人は、ラマダンが好きみたい。
貧しい人の気持ちが分かるし、体にもいいと言っている。でも、私にとっては体のリズムが狂ってしまって夜眠れなかったり、胃痛に悩まされたり、急にいっぱい食べて下痢になったりと散々だった。
ちゃんと断食できたのは半分ぐらいだと思う。でも、ラマダンのご飯は好きだし、ラマダン明けのアザーンが聞こえた時は、何ともいえない嬉しさがある。きっとちゃんとラマダンをやり遂げた時は、すごい充実感と達成感があるんだろうな。

 毎朝、太鼓やカルカバッツ(鉄のカスタネット)を鳴らしながら練り歩く人がいる。
私が気付いた中で、一番早い時間は朝の2時半。ラマダンだよぉ、起きて準備しなさいよぉ、とは言っていないけれど、きっとそんな意味なんだろう。どんな人たちがやっているのか一度見てみたいと思っていたら、ラマダンが終わった時にわざわざ家の前でカチカチドンドン鳴らしてお金を貰いにやって来た。
1ヶ月間、ご苦労様でした。

 ラマダンのいつもと違う生活をしていると、いつもと違う発見や感覚が出て来て面白い。
日本で断食をするのは難しいと思うけれど、この時期にムスリムの国を旅することがあったら、周りの人と一緒にラマダンを体験するときっと楽しいと思う。夕方の中途半端な時間に食事に誘われたり、疲れていて眠いのに、夜中にいっぱい食べさせられたりするけれど、一日だけでもやってみる価値はあると思う。


ラマダン中のお葬式

 ラマダン中に叔父さんが亡くなった。
ラマダンには地獄への扉が閉ざされ、天国への扉が開かれているからいいことなんだよ、と励ましあっている。
モロッコのお葬式は3日間行われる。遺体は1日目に男の人によって葬られた。
家族は朝から葬儀のある従弟の家に行っているから家にいは私1人。今日のフトールはどうなるんだろう?皆疲れて帰って来て、フトールが無かったら困るだろうなと思って、1人でハリラ作りに挑戦した。時々家族の誰かが帰って来て、私がハリラを作っていることを知ると、従弟たちが食べに来ることになった!
初ハリラを味見もせずに人様に出す勇気は無い。断食していたけれど、ごめんなさい。味見しました。やけに具だくさんのハリラになったけれど、皆美味しいと言って食べてくれたから良かった。でも私が作らなくても、お葬式をしている親せきの家で皆で食べることになっていたらしい。

 2日目の夜、私もお葬式をしているお家に行くことになった。とても緊張したけれど、日本のようなお葬式のイメージとは全然違った。
亡くなった人の家族、親戚が料理をして、集まった人達に食事を出す。食事と食事の間は、皆でお喋りをしたり、コーランを読んだりしていた。男の人と女の人は別々の部屋に集まっていて、無くなった叔父さんの奥さんは、全身真っ白の服を着ている。靴下も、草履も。40日間は白い服を着ないといけないらしい。でも、他の人はいつもと変わらない服装。フトール、その後のお茶、タジンを100人ぐらいの来客者に振舞うのは大変な仕事。でもそうやって忙しくして悲しみを忘れるのかもしれない。

 3日目、夕方から葬儀中の家に出かけた。皆でフトールを食べ、お茶を飲み、クスクスが出された。そしてその後、チキンの丸焼き料理、果物まで出てきた。男性の食事が終わってから女性が食べるから、食事をし終わったらもう夜中の12時前。急にお腹が痛くなって、トイレに駆け込む。下痢だぁ〜。お腹は痛い、でもトイレに行かねばならない、ゆっくり寝たい、でもやっぱりトイレに行かねばならない。とても辛い。薬を飲んだらきつ過ぎて胃は痛いし、吐くし、むかむかするし。料理はどれも油っこいし、大好きなシュバキアも見るだけで気持ち悪い。1週間も寝込んでしまった。その間断食も中止。



27日目の夜

 ラマダン月の27日目の夜、初めて使徒ムハンマドに神の啓示が授けられたことから、この日はムスリムの人にとって一番大切な日。従兄弟達が集まって、皆でフトールをして、クスクスを食べた。これも男女別々。外ではフリルのいっぱいついた白いドレスを着た子供や、白いジュラバに赤い帽子をかぶった子供を見かけた。道端で爆竹を鳴らしたり、サッカーをしたりしている子供たちを眺めてから皆がいる家に戻ると、ケバブ(串焼き)の準備をしている。七輪のような物を使って炭で焼いたケバブ、おいしぃ〜!と食べていたら、チキンの丸焼きを男性の部屋に運んでいるのが目に入った。まだ食うのか!?
ハリラ、ゆで卵、シュバキア、ホブスドアッズ、牛乳の後にクスクス、お茶、ケバブ、チキンの丸焼き、りんごやバナナ、みかんのフルーツ盛り合わせ。これが今日のメニューだった。この量にびっくりしたけれど、どれも美味しく食べれた自分にもびっくりだ。私もモロッコ人になったなぁ、と思った。家に帰ったのは夜中の12時過ぎ。そして翌朝の4時にはまたクレープを食べて寝た。目覚めると凄く気持ち悪い。鏡を見たら青白い自分がいる。掃除をしようと思ったら急に吐いてしまった。トイレに駆け込んでまた吐く。またトイレに駆け込んで下痢。やっぱり私は日本人だった。皆は殆ど寝ないでコーランを読んで、お祈りしていたらしい。


ぐうたらラマダン

 前に、モロッコ人の友達と3人でラマダンを過ごした事がある。その時はハリラやパスティラ(パイ生地の中にナッツが入っているお菓子)、シュバキア、ピザなどを全てスークで買って来て、友達を家に呼んで皆でワイワイ食べてからカフェに行き、夜はカードゲームをして、12時ぐらいにタジンを食べてから寝るか、またゲームをして朝方まで過ごし、昼過ぎまで寝てからスークに買い物に行っていた。ラマダンって、こんなものなんだ、とびっくりした。だってただのぐうたら生活だったから。でも今回家族と一緒にラマダンを過ごしてみて、本当のラマダンというものを知った気がする。


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